iPhoneについて思うこと

 Android派である。

 そう、僕はAndroid派である。これまでiPhoneユーザであったことは一度としてない。

 そして、別に自慢することでもない。

 3年間ほど使っていたGoogleのPixel3がいよいよ壊れたので、最新作であるPixel6aを買ってみた。画面が6.1インチと大きくなったのは結構なことだけれど、急に大きくなっても扱いづらい、重たい。ジーンズの前ポケットからも少しはみだす始末。前ポケットに入れながら電車の座席にすわるのがちょっとしんどい。僕は5.5インチ(Pixel3サイズ)で十分なのだけど。世の中的には大画面化の流れは留まることを知らず。この流れこそが正義なのだろう。

 色々と思うところはあるけれど、仕事でも、プライベートでもパソコンはMacでなくWindowsだし、ブラウジングChromeを使い、Gmailに始まり、Googleカレンダー、そしてGoogleドライブなど、Googleサービスに大きく依存してしまっている身としては、Google謹製のスマホを使うことにはある意味自然な、納得感をもってこの選択をしているつもりである。

 そして、自慢することでは特にない。

 街の中でも、電車の中でもみんながスマホをいじっている。そんな光景が当たり前のものになったのはいつ頃からだろう。

 そんな光景が嘆かわしい、なんて言葉も聞かれなくなって久しいように思う。コロナ前には少しそんな声も聞かれたような気がするが、どうだろうか。

 ガラの悪さでは天下にその名を轟かすここ大阪にあっても、電車の中で赤えんぴつをもって競馬新聞をにらんでいるようなおっちゃんはもはや見かけないように思う。みんなスマホスマホの世の中である。

 そして、iPhoneである。女の子はほとんどがiPhoneなのではないか。めっちゃ高いんやけど、あれ。女子高生?女子大生?みたいなんが最新のiPhoneをふつーに持ってるってなんなのか。iPhoneはリセールバリューも高いし、最新でなくても、さらに中古でもそこそこ高いと思うのだが、日本人は、僕が知らないだけでみんなそんなに金を持っているのだろうか。

 以下、MMD研究所の記事によれば日本におけるiphoneのシェアは44.1%、一方のAndroidは51.5%で、ずいぶんAndroidが追い上げているようだけど、世界全体ではAndroidが70~80%を占めるというのだから、iPhoneが日本のスマホ市場を席巻しているのかうかがい知れようものである。

 僕は今大阪に住んでいて、昨今のコロナ禍でずいぶん遠のいてしまったけれど、タップダンスを結構熱心にやっていた。だいたいスクールに通って習ったりするのが一般的だけれど一人で練習するのが好きで、スタジオをレンタルし利用していたことがある。

 レンタルスタジオの運営には、色んなスタイルがあるのだろうけど、僕が利用していたところは、管理者などはおらず無人。予約はネットで行い、使用料金はスタジオの傍らに置いてあるポストに入れる、というシステムだった。

 無人であるから、利用者の忘れ物なども管理者がずっと預かってくれるわけではない。とはいえ、定期的な見回りはしているようで、回収してポストの傍らの透明ケースに入れておいてくれる。そして透明ケースに書いているメッセージがなんとも大阪的であるので、ここで唐突に紹介する。

 まず、「忘れ物は、この箱に入れ1週間保管します。」ふむふむ、なるほど。

 「ただし、貴重品は警察に届けます。」わかる。

 「iPhoneスマホも警察に届けます。」ん?

 なんということだろうか、、、iPhoneスマホなんですが。。。

 ホワイ・ジャパニーズ・ピーポー!?

 大阪では、シェアの高さゆえか、iPhoneというのはスマホとは違う、なにか別の存在になっているようだ。

 スタジオの経営者は、まごうかたなき大阪のおばちゃんであるからして、大阪のおばちゃんの中では、iPhoneスマホとは違う「iPhone」というジャンルと化しているようだ。まるでアホである。

 大阪では、あるジャンルに所属するものが、そのジャンルを代表してしまうという単語の用法があって、例えば、大阪で「ジュース」といえば「ミックスジュース」のことである。「グレープフルーツジュース」は「グレープ」とよばれる。「バナナジュース」は「バナナ」である。

 そして、「にく」といえば「牛肉」のことを指す。豚肉は「ぶた」だし、鶏肉は「かしわ」と呼ばれている。

 大阪人にとって「iPhone」は「iPhone」であってスマホではない。一旦「こうだ!と思えばてこでも動かぬ」という、思い込みの強さというか、いてまえ精神のようなものが、こういった単語の用法にもよくよく現れているのだと思う。

 昔に付き合っていた女性は、スマホの通知の切り方も知らぬ機械オンチであったが、iPhoneユーザであり、大画面を欲すがゆえに最新のiPhoneの最上位モデルしか持ちたくないと言っていた。無駄に金がかかりそうなので、いやになって付き合いをやめてしまった。

 決して、iPhoneの悪口をいいたいわけではないが、最後に、アップルストアについて言いたいことがある。アップルストアが悪いわけではない。それどころか、アップルストアは世界でもっともスタイリッシュな、ものを売る場所の一つであるとさえ思う。

 でも、めちゃスタイリッシュなのに、アップル製品みたさに大勢の人が押しかけるものだから、その人たちがスタイリッシュをジャマしているように見えてしまう。いや、明らかにジャマでスタイリッシュさを大きく毀損しているのは間違いない。人数制限をしたらいいんではないか。

 僕は、iPhoneユーザになることはたぶんこれからもないと思うけれど、新作が出るとどんなスペックなのか、ちょっと気になったりはする。してアップルストアに足を踏み入れたくもなるのだけど、自分がおしゃれな空間をぶちこわしてしまうような気がして気が引けてしまう。「おしゃれな空間を保つには自分がジャマ状態」になりたくないので外から眺めるだけになってしまう。まるで意味がない。

 僕はちょっとおかしいのかもしれない。でも、こんな自分が嫌いで嫌いで好きで好きでしかたがない、という思いで今日も生きている。