別にプロになるわけじゃないんだし。。。

「皆さん、別にプロになるわけじゃないんだし。。。」

 タップダンススクールの女性アシスタントの方はこう言った。

 タップダンスが好きだ。

 金属の板(チップという)を革靴のつま先とかかとに取り付けて音を鳴らしながら踊るというアレである。

 本場アメリカでは、古くはフレッド・アステアジーン・ケリー、サミー・デイヴィス・Jr.、そしてグレゴリー・ハインズなど、人種を問わず多くのスターを生み、今でもブロードウェイにおいてタップダンスは、タップ・オブ・トップ、すなわちエンターテイメントの頂点のような扱いを受けているらしい、と聞いたことがある。

 エンターテイメントの頂点でありながら、その出自は歌や音楽によるコミュニケーションを禁じられた黒人奴隷による感情表現の代替手段にあるという。アメリカ社会が今なお抱えるダークな一面に深く関わる芸術なのだが、僕にとってタップの魅力は、やはり「地味だが意外にカッコいい。」というところに尽きる。日本でのメディアでのマイナーな扱われ方などをみれば、タップダンスは間違いなく地味で「陰キャ的」である。

 コロナが猛威をふるうこのご時世、スクールで習うなんてことも若干はばかられる昨今だけれど、コロナ流行前は、それなりに熱心にスクールに通い、レンタルスタジオを借りては個人練習などもやっていた。

 始めたきっかけは20代後半。友人の結婚式の披露宴である。最近の流行はとんとわからないのだが、結婚式の披露宴は概して二次会というものがあり、友人たちがオーガナイザーやらなんやらをやらされる。

 僕といえば、頼みごとを断れない人のよさと、普段は陰キャの割に意外に人前など出るとこに出るとべしゃる、というのでしょっちゅう任されては企画やら、司会やらをやっていた。

 そんなで、場数をふんでいくとうまく盛り上げられるようになって、楽しくもなってくるのだけど、さらにエンタメ要素を加えたいという思いが沸き起こってきて、何か一芸を身に着けたいという欲求から、タップダンスの世界に足をふみいれることになる。

 皆んながやっているようなことはやりたくないという消去法、地味にカッコいいという立ち位置。北野武監督『座頭市』ブームも過ぎ、やや下火になっているうらぶれ感もよかった。

 43歳の私が十数年前、三十の手習いで始めたものだけど、通い始めたスクールは立ち上げ当初で、オープニングメンバーだったということもあり、一芸どころか、ひょっとするとプロの端くれくらいは目指せるのではないか、など思い直し結構まじめにやっていた。

 以来10年近く続けているのだが、とはいえやはり会社員の身では、週末にいかに10時間とか練習しようと余暇活動の域を出ず、生業にするのはちょっと厳しいのかなぁというのがやってみての感想である。ここまでが長い前置き。

 そんな中でも続けていたある日のレッスン、冒頭の女性講師(普段はスクール主宰者のアシスタント)が言ったのだ。「皆さんはプロになるわけじゃないんで、ここまでの技術を習得する必要はないですよ。」と。

 「皆さんはプロになるわけじゃないんだから、、、」というフレーズ、現実的に考えればそうであろうし、何の悪気もなく放たれた言葉のように思える。

 しかし、このフレーズ、やはり僕は看過することができない。発言全体の意図がどうであれ、フレーズに込められたメッセージは、「どんなにガンバってもあなた方は、人様からお金をいただけるようなレベルには到底なりませんよ。」いうことに他ならないからだ。これは気分がよくない。

 タップに限らず指導者から、この手の発言を聞くことが多いのだが、この発言をなぜしてしまうのか、結構理解に苦しむ。

 こんな風に言われると、取り組んでいる側としては単純にしらけるものだし、なんだか勝手に上限を想定されて、可能性を抑えつけられているようにしか思えないのだ。

 プロになるのか、ならないのか、なれるのか、なれないのかそんな判断を講師に求めているわけではない。教わったものをどう己の人生に還元していくかは受け手の権利であって、講師は基本的に教えられることすべてを教えてくれればよいのだけなのだ。プロになるわけじゃない、なんて明らかに余計なお世話である。

 誰でもプロになれますなんていう必要はないけれど、そういう道もありますよという可能性を示してくれればいいのに、と思う。

 ジェンダーに配慮せずにいうのならばこういう発言をするのは、女に多い。そういえばタップの前にバイオリンを習ってみた時の女講師にも「プロになるわけじゃないんだし」発言をされたものだ。

 こういう発言に僕が嫌悪を示すのは、そこに明確にマウンティングの意識を感じるからだ。

 講師はその対象における技術であり情報に関して、生徒よりも優位性を持っているはずである。その技術や情報の非対称性こそが講師にとって収益の源泉となる以上、講師が「私は生徒のみなさんとは違う。」という優越的なスタンスをとりたがるのは無理もないこととは思える。

 タップでもバイオリンでもいい。本当に一流のプレーヤーというのは、パフォーマンスによって生計を立てて、そしてパフォーマンスによって社会的に高い評価を得ているのだろう。プロとしては幸せなことである。

 一方、指導をもっぱらの生業にしているということは、どのような思いがあるとはいえ、どうしてもプレーヤーとしては一流とはいえず、そして本人もそれをよくわかっているのだろう。きつい言い方をすれば「中途半端なプロ」であり、その自覚からくるルサンチマンを抱えつつ、精神のバランスをとるために己より未熟な生徒に対して示したい優越感が、余計にマウンティングに拍車をかけるのだと思う。こう考えると自分は一流ではない、と現実的に思考を展開しがちな女性からこの発言が出がちなこともある程度納得できる。

 「プロになるわけじゃないんだし」は己の中途半端さに耐えきれない心の叫びの発露なんだな。 

 ただ、僕はどんな意図であれ、相手の前提を勝手に推し量るような発言はやめようと思った。