『そっくり人形』を読む

私は今、一冊の大学ノートを目の前に広げている。

 タイトル欄に書かれた文字は「そっくり人形」。

 これは私が高校時代に学んだ国語の講義ノートである。

 『そっくり人形』は、ノーベル文学賞に最も近いとされた文豪、安部公房のエッセイ作品だ。

 安部公房をウェブ検索すると、Wikipediaに次のようにある。

 安部公房は、東京府で生まれ、少年期を満州で過ごす。高校時代にハイデガーリルケに傾倒し、戦後の復興期に様々な芸術運動に積極的に参加。

 ルポルタージュの方法を身につけ、三島由紀夫らとともに第二次戦後派として海外でも高く評価されている、とのことである。

 とにかく、硬質な文体でとにかく難解な作品を書いている人。大人になってから新潮文庫から出版されている安部公房の文庫はたぶん全て読んだけれど大半わけがわからぬ。

 昔の受験の問題文に使われる代表的な作家だったらしいが、こんなわけわからん文章を書く人が、今の高校生にはどれほど認知されているだろうか。

 さて、20数年前の学生だった頃の講義ノートをもとに、この作品について語ってみたいと思う。なお、このような雑文をものするにあたり、改めて作品を読み返す必要があるかと思い、買おうと思い立ってAmazonで調べてみた。

 『そっくり人形』は、新潮文庫から出版されていた安部公房のエッセイ集『死に急ぐ鯨たち』の中に収録されている。しかし、今や絶版になってしまったようで、文庫本の価格をみると3028円もする。中古の単行本でも1800円だ。希少性が高く、価格が上がりまくっている。

 いつか購入しようと誓い、今回の購入は断念。ノートやネット検索を頼りに記憶の糸をたどっていくとしよう。

 『そっくり人形』は、ある博物館から話が始まる。博物館を訪れた老婦人が、実物の人間がいると思っていたら、実は本物の人間と見紛うほどよくできた彫刻か何かで大層おどろいて、とまぁ、こんな冒頭であったような気がする。そして、とかく芸術とはほど遠い記録装置と捉えられがちな写真というものが単なる記録装置の枠に留まらず、従来の表現技法を超えるような優れたものであることを堂々と述べる、写真家でもあった彼らしい論評である、と記憶している。なにせエアプなので曖昧である。

 ノートを見返すと、まずは、表現技法の歴史をひもとくところから述べられている。

 写実的な技法というものが歴史上恐らくはじめて脚光を浴びたのがヨーロッパにおけるルネッサンスの時代である。ルネッサンスは、日本では文芸復興と訳され、自然と人間の再発見の時代であるとされる。

 自然と人間の「再発見」とはなんだろうか。何を「再発見」したのだろうか。

 更に時代を中世までさかのぼる。中世ヨーロッパはキリスト教、なかんずくローマ・カトリックの教会の影響下にあり、あらゆる絵画などの表現が、神の視点から描かれている。そして神の前で人は皆平等であるとの基本思想のもと、よくみるのっぺりとした宗教画が描かれた時代である。

 一方、ヨーロッパ人の心の源流ともいうべき古代ギリシャでありローマの文化、ギリシャ彫刻に象徴されるような生き生きとした人間らしい表現は忘れ去られてしまっていた。というより、人間らしさを表現する写実はタブーであるとされたのである。

 タブーとされた古代ギリシャの人間らしさの表現への回帰というものがルネッサンスであると理解する。ルネッサンスが「再発見」したものは、「人間」の視点であった。ルネサンスの時代に描かれた絵画は「再発見」した「人間」の視点で描かれたものであり、それゆえ写実的である。この時代、写実的であることそのものが思想を有する表現技法であり、従来の文化に対するカウンターであり、またアバンギャルドでもあったのである。

 絵画をはじめとする芸術はその後もさまざまな潮流を経て変容していくが、写実的であることからもっとも離れた表現の一つが、19世紀にドイツで流行したドイツ表現主義であろう。

 ドイツ表現主義は、客観的な表現を排して内面の主観的な表現、作者や時代の精神を表現することに主眼をおくことを特徴としており、「芸術ハ身体ヲ失ウ」、後のコンセプチュアルアートにも繋がるものである。これらは明らかに写実表現に対するカウンターとして誕生したもののである。

 ドイツ表現主義の代表的な作品に、ロベルト・ヴィーネ監督による映画、『カリガリ博士』がある。ナチスドイツの台頭を予言した作品とされるが、しかし、わけわからんかった。

 時代はまた移り、スーパーリアリズムという技法が提唱される。写真をもとに対象を徹底的に克明に描写するというもので、これはドイツ表現主義的な表現に対するカウンターとして生まれたものである。ただ、写実主義とも距離を置いていたというが、時代を経るごとに表現技法の思想性が失われていく過程のようにも思える。

 スーパーリアリズムと比べて語られるのが写真である。スーパーリアリズムにとって写真は単に対象を切り取ったものであり芸術ではない、というさげすみのようなものがあったが、果たしてそうであろうか。

 スーパーリアリズムは、実体を認識し、人間の眼を通して写実的に描かれる、という表現である。一方、写真は、実体を人間の眼ではなくレンズを通して機械的に捉えることで写実的に描かれる。両者は、構造的には同一であるが、違いは何であろうか。実体を捉えるものが人間か、レンズ(機械)かというところであり、限界ある人間が自立的に焦点を定めるがゆえに表現されるものは不確かで、焦点を定めたもの以外は表現されず、結果として真実から遠ざかるという結果をもたらすことになる。

 一方写真は、レンズを通して対象を捉えることで写実的に表現をする。フレーム内の表されるものは、撮影者の意図したもの、意図を超えたものが共存することになる。情報の質と量において人間の限界を超えたものを得られるというものである。

 とかく、写真というものは現実をただ写し取るだけのいわゆる「そっくり人形」という扱いを受けがちではあるが、そうではない。むしろ人間の意図を超えた対象を捉えられるという点で表現として優れているものであり、不完全に、恣意的に情報を捉えるスーパーリアリズムこそが「そっくり人形」として揶揄されるべきものであると述べている。

 そっくり人形は当時比較的新しい表現であった写真が有する機能を解き明かし、既存の表現技法に関する優位性を主張している。

 主題ではないが、単純に表現技法の話としてではなく、古い何かに対して、新しく変えるためのアクションを起こすときに単に何かを変えるために、変えるということになっていないかと自問を促す作品であるとも思った。

コンビニエンスストアとの思い出

 私がはじめてコンビニエンスストアというものに入ったのは、たぶん17歳の時、それは1997年頃のことだと記憶している。

 その時に入ったのは、ヤマザキデイリーストアか、今は亡きホットスパーか、あるいは これも今は亡きサンクスのどれかだったとは思うが、いかんせん20数年前のことゆえ、すっかり忘れてしまった。

 いまや毎日のように利用するコンビニエンスストアに、21世紀を目前に控えてもいったことがなかったというのは思い返しても衝撃である。

 私が生まれ育ったのは山形県鶴岡市というところだ。鶴岡駅で特急列車を降り、駅前のややさびれて、シャッター街同然となった商店街を抜けるとあっという間に視界一杯に田園風景、遠くに出羽の山々が広がる、日本の原風景をイメージさせる、なんというか、一言でいうと田舎である。

 私はずいぶん前に故郷を離れ、今は大阪に暮らす身だけれど、まだ地元に住んでいる家族の話によれば、鶴岡はもともと農業の盛んな地域に加え、日本海から新鮮な魚介類が水揚げされるなど、食材だけは豊富であるからして、最近は「食の都」などと銘打って、いい感じにブランディングができているそうだ。全国の名のあるシェフ達の間でも 「知る人ぞ知る」、理想郷のような扱いを受けているらしい、知らんけど。

 という感じで自然ばかりの大層田舎であるからして、コンビニなるものも子供の頃にはなかったような気がする。

 冒頭にあげた、ヤマザキデイリーストアとか、ホットスパーとかが16歳くらいのときに国道沿いにポツポツできてきているなぁ、でも何だろうあれ、といった感じでよくわからん、己には関係ないもののようにとらえていた。

 コンビニがなくても普通に生活し、消費活動が成り立っていた時代というものがほんの少し前まで当たり前のようにあったのだ。

 日本のコンビニチェーンの最大手といえばセブンイレブンだけれど、ネット検索してみると鶴岡市に初めて出店したのは、2000年11月のことだそうだ。セブンイレブンが日本で初めて出店したのは、水産仲卸市場で有名になった豊洲で、これが1974年のことであるから、日本1号店に遅れること、なんと26年後のことである。

 私は、1999年に20歳で上京し最初の職場が豊洲にあったから、初めて入ったセブンイレブンはひょっとすると第1号店であったかもしれない。これも20年以上前のことであるから、もはやどう振り返っても記憶にはない。1号店の内装、外装は普通に小綺麗だったから1974年から何度となく改装を繰り返していたのだろう。普通の印象であった。

 前述のプレスリリースを更に読み進めると、山形自動車道の全面開通に伴い、とある。一斉配送を可能とするにはこのようなインフラの充実が不可欠だったのだろう。この一点をみてもセブンイレブンマーケティング戦略の確かさの一端を感じることができる。

(2000年のセブンイレブン初出店は全国的にみても類をみないくらいの遅さ、と思っていたが、秋田県に初出店したのは2012年のことらしい。びっくり。)

 上京して以降、盆暮れに地元に帰省するたびに、セブンイレブン(とファミリーマート)が、ヤマザキデイリーストアや、ホットスパーや、サンクスに取ってかわり、どんどん増えていったという印象である。ヤマザキデイリーストアがなくなっていくのを間のあたりにするたび、我が青春が失われていくような思いがしたものである。

 また、私のいとこは地元に密着した酒屋の店主であったが、多角経営の一環(というか、生活的に苦しかったのかもしれない)として海水浴場近くでサンクスのフランチャイズをやっていて、物珍しさからか、一時期は景気のいい話も聞いたものだけど、間もなく眼の前にできたセブンイレブンに淘汰されてしまったのだろう、店をたたむことになってしまった。

 店をやっていた当時、帰省した時には売れ残りのジュースとかパンとか、もらっては私はとても喜んでいた。しかしながら、コンビニのフランチャイズは本部の権限が強いと聞くし、セブンイレブンに押される中で、いとこは大変な苦労を抱えながらやっていたのだろう、そんな苦労を全く見せることのなかったいとこも、今はソムリエ(正しくはコンセイエ)として活躍しているらしい。結婚もし、何はともあれ無事に、幸せに生きているようでありよかった、と思う。

 このように私にとっては愛憎あいまみれた、アンビバレントな感情を持っているセブンイレブンなのだけど、やはりコンビニエンスストアといえばセブンイレブン、であろう。

 どこでもいい、コンビニを探している時に見つけたのがセブンイレブンであった時の安心感はなんであろうか。

 この安心感は、他の大手3社のローソン、ファミリーマートにはないもので、理由を考えてみた。ばかばかしい結論のようだが、ひょっとすると店舗のデザインに使われる暖色系の赤色の使い方にあるのではないか、と感じる。赤はローソンもファミリーマートも使っていないし。

 そんなセブンイレブンは、他大手にさきがけてセブンプレミアムというやや高級志向のプライベートブランドを提供している。最近、そのマカダミアナッツクッキーを買ってみた。砂糖の甘味は抑えつつも、バターのコクは引き立っていてよくできた一品だと思う。

(ただ、このマカダミアナッツクッキー、1袋に5枚入りなのだが、袋の開け口に対して平行に5枚が並んでいる。これによって1枚ずつ取り出すことができない。そんなにいっぺんには食べないのだから、開け口に直交させ、一枚ずつ取り出せるようにした方がよいのではないか、とは思う。)少し批判的なことを申し上げたが、やがて改善し提供してくれるのだろう、その自己変革力はセブンイレブンの強みであるような印象を受ける。

 とまぁ、こんな感じで最後は、セブンイレブンの話一辺倒になってしまったけれど、セブンイレブンを中心とするコンビニに、私の人生をクロスオーバーさせて振り返ってみた。

 皆さんにとっての、コンビニの思い出って何ですか。

iPhoneについて思うこと

 Android派である。

 そう、僕はAndroid派である。これまでiPhoneユーザであったことは一度としてない。

 そして、別に自慢することでもない。

 3年間ほど使っていたGoogleのPixel3がいよいよ壊れたので、最新作であるPixel6aを買ってみた。画面が6.1インチと大きくなったのは結構なことだけれど、急に大きくなっても扱いづらい、重たい。ジーンズの前ポケットからも少しはみだす始末。前ポケットに入れながら電車の座席にすわるのがちょっとしんどい。僕は5.5インチ(Pixel3サイズ)で十分なのだけど。世の中的には大画面化の流れは留まることを知らず。この流れこそが正義なのだろう。

 色々と思うところはあるけれど、仕事でも、プライベートでもパソコンはMacでなくWindowsだし、ブラウジングChromeを使い、Gmailに始まり、Googleカレンダー、そしてGoogleドライブなど、Googleサービスに大きく依存してしまっている身としては、Google謹製のスマホを使うことにはある意味自然な、納得感をもってこの選択をしているつもりである。

 そして、自慢することでは特にない。

 街の中でも、電車の中でもみんながスマホをいじっている。そんな光景が当たり前のものになったのはいつ頃からだろう。

 そんな光景が嘆かわしい、なんて言葉も聞かれなくなって久しいように思う。コロナ前には少しそんな声も聞かれたような気がするが、どうだろうか。

 ガラの悪さでは天下にその名を轟かすここ大阪にあっても、電車の中で赤えんぴつをもって競馬新聞をにらんでいるようなおっちゃんはもはや見かけないように思う。みんなスマホスマホの世の中である。

 そして、iPhoneである。女の子はほとんどがiPhoneなのではないか。めっちゃ高いんやけど、あれ。女子高生?女子大生?みたいなんが最新のiPhoneをふつーに持ってるってなんなのか。iPhoneはリセールバリューも高いし、最新でなくても、さらに中古でもそこそこ高いと思うのだが、日本人は、僕が知らないだけでみんなそんなに金を持っているのだろうか。

 以下、MMD研究所の記事によれば日本におけるiphoneのシェアは44.1%、一方のAndroidは51.5%で、ずいぶんAndroidが追い上げているようだけど、世界全体ではAndroidが70~80%を占めるというのだから、iPhoneが日本のスマホ市場を席巻しているのかうかがい知れようものである。

 僕は今大阪に住んでいて、昨今のコロナ禍でずいぶん遠のいてしまったけれど、タップダンスを結構熱心にやっていた。だいたいスクールに通って習ったりするのが一般的だけれど一人で練習するのが好きで、スタジオをレンタルし利用していたことがある。

 レンタルスタジオの運営には、色んなスタイルがあるのだろうけど、僕が利用していたところは、管理者などはおらず無人。予約はネットで行い、使用料金はスタジオの傍らに置いてあるポストに入れる、というシステムだった。

 無人であるから、利用者の忘れ物なども管理者がずっと預かってくれるわけではない。とはいえ、定期的な見回りはしているようで、回収してポストの傍らの透明ケースに入れておいてくれる。そして透明ケースに書いているメッセージがなんとも大阪的であるので、ここで唐突に紹介する。

 まず、「忘れ物は、この箱に入れ1週間保管します。」ふむふむ、なるほど。

 「ただし、貴重品は警察に届けます。」わかる。

 「iPhoneスマホも警察に届けます。」ん?

 なんということだろうか、、、iPhoneスマホなんですが。。。

 ホワイ・ジャパニーズ・ピーポー!?

 大阪では、シェアの高さゆえか、iPhoneというのはスマホとは違う、なにか別の存在になっているようだ。

 スタジオの経営者は、まごうかたなき大阪のおばちゃんであるからして、大阪のおばちゃんの中では、iPhoneスマホとは違う「iPhone」というジャンルと化しているようだ。まるでアホである。

 大阪では、あるジャンルに所属するものが、そのジャンルを代表してしまうという単語の用法があって、例えば、大阪で「ジュース」といえば「ミックスジュース」のことである。「グレープフルーツジュース」は「グレープ」とよばれる。「バナナジュース」は「バナナ」である。

 そして、「にく」といえば「牛肉」のことを指す。豚肉は「ぶた」だし、鶏肉は「かしわ」と呼ばれている。

 大阪人にとって「iPhone」は「iPhone」であってスマホではない。一旦「こうだ!と思えばてこでも動かぬ」という、思い込みの強さというか、いてまえ精神のようなものが、こういった単語の用法にもよくよく現れているのだと思う。

 昔に付き合っていた女性は、スマホの通知の切り方も知らぬ機械オンチであったが、iPhoneユーザであり、大画面を欲すがゆえに最新のiPhoneの最上位モデルしか持ちたくないと言っていた。無駄に金がかかりそうなので、いやになって付き合いをやめてしまった。

 決して、iPhoneの悪口をいいたいわけではないが、最後に、アップルストアについて言いたいことがある。アップルストアが悪いわけではない。それどころか、アップルストアは世界でもっともスタイリッシュな、ものを売る場所の一つであるとさえ思う。

 でも、めちゃスタイリッシュなのに、アップル製品みたさに大勢の人が押しかけるものだから、その人たちがスタイリッシュをジャマしているように見えてしまう。いや、明らかにジャマでスタイリッシュさを大きく毀損しているのは間違いない。人数制限をしたらいいんではないか。

 僕は、iPhoneユーザになることはたぶんこれからもないと思うけれど、新作が出るとどんなスペックなのか、ちょっと気になったりはする。してアップルストアに足を踏み入れたくもなるのだけど、自分がおしゃれな空間をぶちこわしてしまうような気がして気が引けてしまう。「おしゃれな空間を保つには自分がジャマ状態」になりたくないので外から眺めるだけになってしまう。まるで意味がない。

 僕はちょっとおかしいのかもしれない。でも、こんな自分が嫌いで嫌いで好きで好きでしかたがない、という思いで今日も生きている。

時代の声

 ラジオが好きだ。

 モノとしてのラジオではなく、もちろん番組を聴くことが好きなのだけど。

 どのくらい好きかといえば、例えるなら、ハクション大魔王にとってのハンバーグくらいのものである。。。

 なんというか、少なくとも、週末、土曜日と日曜日は朝から晩までラジオをかけて過ごしているというくらいには僕はラジオというメディアを支持している。

 特に最近の好みは、FM大阪で土曜日の16時からリリー・フランキーさんがパーソナリティを務める『スナックラジオ』、そして同じくFM大阪で日曜日の15時からオンエアされている『日本郵便 SUNDAY'S POST』。こちらのパーソナリティは、小山薫堂さん、そして宇賀なつみさん。

 『スナックラジオ』はリリー・フランキーさんがアシスタントをいじりながら繰り広げる、ちょっぴりエロくて軽妙なトークが土曜日の夕方という黄昏の時間帯にぴったりだ。

 そして、『SUNDAY'S POST』は、手紙をテーマにしているだけあって、リスナーさんからのお手紙に心暖まるのだが、何よりこの番組の魅力を支えるのは、宇賀なつみさんの声である。とてもいい。

 やや低音で、包まれるような安心感、だけでなくしっかりかわいらしさもあって声だけで好きになってしまう。ずるいな、と思う。宇賀さんの声が聴きたくてこの番組を聴いているといっても過言ではない、かもしれない。

 いつか、はがき職人をやってみようとも思うのだが、そして宇賀なつみさんにラブレターを書いて、番組で読まれて、んで、彼女の反応をみてみたい(聴いてみたい)、などと妄想するのだが、ラジオを相手にしてさえ、ひっこみ思案な性格が災いしてか一向に叶わぬ。

 そんな中で今日題材にするのは、土曜日の17時からオンエア中の、お笑いコンビ、麒麟川島明さんがパーソナリティを務める『SUBARU Wonderful Journey 土曜日のエウレカ』だ。これもFM大阪

 この番組は自動車メーカーがスポンサーなだけあって、個性的なゲスト(本当にゲストのセレクトは個性的だと思う)と一緒にドライブしながらあれこれ語り合うという設定のトーク番組であり、くどいようだがホントにゲストは個性的である。

 同番組の2022年8月6日のゲストは、あの東京スカパラダイスオーケストラバリトンサックスのパートを務める谷中敦さん。しぶい(しぶすぎる)声、二人の共演である。

 ここからが本題。東京スカパラダイスオーケストラは、あのYOASOBIの幾田りらさんを擁して新曲『Free Free Free feat. 幾田りら』をリリースして間もない頃で宣伝の目的も大いにあったのだろう。

 番組で、新曲について聞かれた谷中さんは、ボーカルを務めた幾田りらさんの歌声をして、「時代の声」である、と言っていた。

 その何気ない「時代の声」という短いフレーズでの評価が、誠に正鵠を射ていて面白いなと思えたので、ここで僕が考える、これまでの「時代の声」を取り上げてみる。

 条件として、幾田りらさんの声に着想を得た記事であるから、対象は女性アーティストとする。また、取り扱う年代は1980年代以降とさせていただく。1970年代は生まれていないのでよくわかりません。

 以降に示すのが、僕の考えるそれぞれの年代の「時代の声」だ。多分に僕の好みも含まれているけれどもお許しいただきたい。主観、偏見込みの意見こそが面白いと思うので。

 とはいうものの、「いかにも」な、予想しやすい結果になってしまった。

 

1980年代 松田聖子さん

 今なお「最強のアイドル」とされる松田聖子さんを挙げたい。中森明菜さんも捨てがたいが、バブル前夜の高揚感のある時代にしては陰に過ぎる。いまなお伝説として語り継がれる松田聖子さんの声こそ、時代の声にふさわしい、と思う。

 

1990年代 坂井泉水さん(ZARD)、安室奈美恵さん

 この年代からは2名挙げさせていただいた。

 坂井泉水さんは1990年代前半、『負けないで』、『揺れる想い』などのヒット曲で知られる。バブル崩壊後の暗い世相の中で、また男女雇用機会均等法が施行され、社会進出が進んだ女性達に向けて等身大で応援歌を歌い続けた坂井泉水さんのみずみずしい歌声は、やはり「あの時代」だからこそ人々の心に刺さったのだろう。

 1990年代後半は、安室奈美恵さん。一世を風靡した小室ファミリー全盛期の最大のヒットメーカーだ。『Can you Celebrate?』で壮大な結婚の歌を歌ったかと思えばほんとにSAMと結婚して伝説になった。驚いた。

 

2000年代 浜崎あゆみさん、宇多田ヒカルさん

 この年代からも2名だ。浜崎あゆみさんと、宇多田ヒカルさん。

 21世紀になり外資系なんて言葉も流行り始めた頃、日本人離れしたリズム感でJ POPに革命を起こした(セールスもすごい)宇多田ヒカルさんは、グローバルな時代の象徴的な存在と言えるだろう。

 一方、浜崎あゆみさんは、バブル崩壊後の失われた20年、一向に先の見えない時代に自らの暗い半生をのせた抒情的な歌声で爆発的な人気を得た。「時代の寵児」としてもてはやされるほどに孤独の影が強くなっていく、そんな人であった。

 甲乙はつけがたいが、どちらかといえば浜崎あゆみさんの方が「時代の声」というイメージが強い。

 

2010年代 該当なし

 この時代はまさにAKB48グループの全盛であり、ヒットチャートの右をみても左をみてもAKB48の楽曲が占めておる。「時代の声」は「AKB48」としてもよいのだが、やはり個性に乏しく該当なし、とさせていただいた。

 

2020年代 幾田りらさん

 この企画のきっかけとなった人であり、特に異論の余地はなし。

 

 とまあ、こんな感じで谷中さんのふとした一言をきっかけにこんな雑文をものして遊んでしまった。しかし、「時代の声」たる声の持ち主は、やはり単なるヒットメーカーという枠に収まらない。何かしら、その時代背景を反映しているというか、その時代と密着した雰囲気というものを宿しているものだ、と感じる。

 それが何であるか、決して言葉で説明しきれるものではないが、細胞やら神経に訴えかけてくるようなこれぞ「時代の象徴」感がある。これからも色んな人が出てくるだろうが、「時代の声」といった観点で楽曲に触れてみるのも面白いと思う。

 やっぱり、僕にとっては宇賀なつみさんの声が「時代の声」かなぁ。

あの世に名声はもっていけるか。

あの世に名声はもっていけるのだろうか。

 いつもより寝坊したある夏の終わりの日曜日。カーテンを開けると最近いくぶん穏やかになった日差しが、室内にやわらかに差し込んでくる。

 日曜日はいつも日長一日、FMラジオを聴いて過ごしている。

 日曜日の午前中は特にパーソナリティのキャラクターが比較的穏やかである。日曜日の午前中は確かにこんな雰囲気が合うような気がする。

 もっと若い頃、トーク番組というのは何が面白いのか解らなかったのだが、いつの頃からだろうか、トーク番組というものが心地よく感じられるようになったのは。アラフォーになり、他人の話を聞いたところで心を動かされることも少なくなったけれど、会話から、ラジオの向こう側からも感じられる人々の息遣いに触れていたいと思うくらいには寂しいのだろうか、そうかもしれない。

 これはあるラジオ番組での話。その日はある実業家の男性がゲストで登場し語る回。その人の名前も、何の事業をやっているのかもすっかり忘れてしまったが、多くの金銭を稼いだいわゆる成功者らしい。

 ゲストとして招かれたその人は、番組の主旨に則り、いかに苦労の末成功して、今どんな風に充実した人生を送っているかを語っている。

 功成り名遂げた今もなお、「ザ・成功者」ともいうべき、あちこちを飛び回るよく働き、よく遊ぶエネルギッシュな人生を送っているそうだ。 

 そして、その動機をこう語っていた。

 「生きている間にもっと色んな刺激的な経験をしたいんですよね。そしていつか死んであの世にいったら、あの世で会うであろう人たちに、俺は、生きている間にあんな、こんな刺激的な経験をいっぱいした充実した人生だったよ、と自慢したいんですよ。」だそうだ。

 彼にとっては、他人に讃えられ、承認欲求を満たすことが行動の原動力になっているようだ。また、あるかどうか分からない、死後の世界の実在を前提とした、不思議なモチベーションではある。

 死後の世界があるのかどうかは、ここで語るべきことではないので置いておく。しかし、あの世にいってまで生前に人のことを自慢したいのだろうか。

 そもそも人に自慢しようという心持ちの奥にあるのは、自分の以外の他人を脇役にして、他人を背景にして、自分が前にでたいという自己顕示欲に辟易してしまうのだけれど、成功者というのはこういう、他人のことなんかどうでもよく自分が前に出ることをナチュラルに一番に考えられる人たちなのだろう。こういう考えに賛同はしないまでも、こういった考えをもって他人から勝つことにこだわり成し遂げたということは感心する部分はある。

 一方で、私はどうだろか。成功した実業家などではない会社員ではあるけれど、やっぱり他人を背景にすることを是とする生き方はダサいと思う。自分の本当の満足とかを他人にゆだねているという時点で。もっと自分の中の充実ということに向き合うべきだし、そして背景にされる他者に対する想像力をもつべきだと思う。

 「俺はこんなにすごかった、すごいんだ。」といって称賛を得ようと躍起になるより、「君はほんとにすごいよね。」と素直にいえるほうが素晴らしいと思うし、そんな自分であろうと思って生きている。

 他人に称賛してもらうのは悪い気持ちではないし、時に快感ではあるけれど、みんな、誰かの背景になるよりも自分を認めてほしいと思っているはずなのだ。他者を無理やり自分の背景にしてしまう行為にうつつを抜かすようになってしまうのが、社会的な成功がもたらす結果ならば、そんなものは欲しくないと思ってしまう。

 私は成功者などと呼べるものではないけれど、そんな心持ちで生きていられることは幸福であるかもと思う。でも、こんなマインドではなかなか人の上に立つのは難しいかもしれない。

別にプロになるわけじゃないんだし。。。

「皆さん、別にプロになるわけじゃないんだし。。。」

 タップダンススクールの女性アシスタントの方はこう言った。

 タップダンスが好きだ。

 金属の板(チップという)を革靴のつま先とかかとに取り付けて音を鳴らしながら踊るというアレである。

 本場アメリカでは、古くはフレッド・アステアジーン・ケリー、サミー・デイヴィス・Jr.、そしてグレゴリー・ハインズなど、人種を問わず多くのスターを生み、今でもブロードウェイにおいてタップダンスは、タップ・オブ・トップ、すなわちエンターテイメントの頂点のような扱いを受けているらしい、と聞いたことがある。

 エンターテイメントの頂点でありながら、その出自は歌や音楽によるコミュニケーションを禁じられた黒人奴隷による感情表現の代替手段にあるという。アメリカ社会が今なお抱えるダークな一面に深く関わる芸術なのだが、僕にとってタップの魅力は、やはり「地味だが意外にカッコいい。」というところに尽きる。日本でのメディアでのマイナーな扱われ方などをみれば、タップダンスは間違いなく地味で「陰キャ的」である。

 コロナが猛威をふるうこのご時世、スクールで習うなんてことも若干はばかられる昨今だけれど、コロナ流行前は、それなりに熱心にスクールに通い、レンタルスタジオを借りては個人練習などもやっていた。

 始めたきっかけは20代後半。友人の結婚式の披露宴である。最近の流行はとんとわからないのだが、結婚式の披露宴は概して二次会というものがあり、友人たちがオーガナイザーやらなんやらをやらされる。

 僕といえば、頼みごとを断れない人のよさと、普段は陰キャの割に意外に人前など出るとこに出るとべしゃる、というのでしょっちゅう任されては企画やら、司会やらをやっていた。

 そんなで、場数をふんでいくとうまく盛り上げられるようになって、楽しくもなってくるのだけど、さらにエンタメ要素を加えたいという思いが沸き起こってきて、何か一芸を身に着けたいという欲求から、タップダンスの世界に足をふみいれることになる。

 皆んながやっているようなことはやりたくないという消去法、地味にカッコいいという立ち位置。北野武監督『座頭市』ブームも過ぎ、やや下火になっているうらぶれ感もよかった。

 43歳の私が十数年前、三十の手習いで始めたものだけど、通い始めたスクールは立ち上げ当初で、オープニングメンバーだったということもあり、一芸どころか、ひょっとするとプロの端くれくらいは目指せるのではないか、など思い直し結構まじめにやっていた。

 以来10年近く続けているのだが、とはいえやはり会社員の身では、週末にいかに10時間とか練習しようと余暇活動の域を出ず、生業にするのはちょっと厳しいのかなぁというのがやってみての感想である。ここまでが長い前置き。

 そんな中でも続けていたある日のレッスン、冒頭の女性講師(普段はスクール主宰者のアシスタント)が言ったのだ。「皆さんはプロになるわけじゃないんで、ここまでの技術を習得する必要はないですよ。」と。

 「皆さんはプロになるわけじゃないんだから、、、」というフレーズ、現実的に考えればそうであろうし、何の悪気もなく放たれた言葉のように思える。

 しかし、このフレーズ、やはり僕は看過することができない。発言全体の意図がどうであれ、フレーズに込められたメッセージは、「どんなにガンバってもあなた方は、人様からお金をいただけるようなレベルには到底なりませんよ。」いうことに他ならないからだ。これは気分がよくない。

 タップに限らず指導者から、この手の発言を聞くことが多いのだが、この発言をなぜしてしまうのか、結構理解に苦しむ。

 こんな風に言われると、取り組んでいる側としては単純にしらけるものだし、なんだか勝手に上限を想定されて、可能性を抑えつけられているようにしか思えないのだ。

 プロになるのか、ならないのか、なれるのか、なれないのかそんな判断を講師に求めているわけではない。教わったものをどう己の人生に還元していくかは受け手の権利であって、講師は基本的に教えられることすべてを教えてくれればよいのだけなのだ。プロになるわけじゃない、なんて明らかに余計なお世話である。

 誰でもプロになれますなんていう必要はないけれど、そういう道もありますよという可能性を示してくれればいいのに、と思う。

 ジェンダーに配慮せずにいうのならばこういう発言をするのは、女に多い。そういえばタップの前にバイオリンを習ってみた時の女講師にも「プロになるわけじゃないんだし」発言をされたものだ。

 こういう発言に僕が嫌悪を示すのは、そこに明確にマウンティングの意識を感じるからだ。

 講師はその対象における技術であり情報に関して、生徒よりも優位性を持っているはずである。その技術や情報の非対称性こそが講師にとって収益の源泉となる以上、講師が「私は生徒のみなさんとは違う。」という優越的なスタンスをとりたがるのは無理もないこととは思える。

 タップでもバイオリンでもいい。本当に一流のプレーヤーというのは、パフォーマンスによって生計を立てて、そしてパフォーマンスによって社会的に高い評価を得ているのだろう。プロとしては幸せなことである。

 一方、指導をもっぱらの生業にしているということは、どのような思いがあるとはいえ、どうしてもプレーヤーとしては一流とはいえず、そして本人もそれをよくわかっているのだろう。きつい言い方をすれば「中途半端なプロ」であり、その自覚からくるルサンチマンを抱えつつ、精神のバランスをとるために己より未熟な生徒に対して示したい優越感が、余計にマウンティングに拍車をかけるのだと思う。こう考えると自分は一流ではない、と現実的に思考を展開しがちな女性からこの発言が出がちなこともある程度納得できる。

 「プロになるわけじゃないんだし」は己の中途半端さに耐えきれない心の叫びの発露なんだな。 

 ただ、僕はどんな意図であれ、相手の前提を勝手に推し量るような発言はやめようと思った。

レシピはみてもつまらない。塗り絵してるようなもん。

 「レシピはみてもつまらない。塗り絵してるようなもん。」

 料理研究家土井善晴先生はそう言った。

 43歳独身男性、目下一人暮らし継続中の私は、最近よく自炊をしている。

 一応ライフハッカーの端くれを自認し、生活改善を一種の楽しみとする私は、世のビジネス系インフルエンサーが言うような、己の時間単価を考え、時間対効果の低い行動はしない、と意見も理解し、実践しているつもりである。

 そんなインフルエンサーが言う、己の時間単価を大事にする、の観点から言えば、自炊というものは時間対効果の低い、避けるべきものであるそうだ。その分、仕事や勉強にあてて収入アップを図るべきであるよ、というのが彼らの主張であり、この主張にうなずくべきところは確かに多い。自炊というのは確かにめんどくさい。

 そんな、私が自炊にいそしむのはひとえに金銭の節約のためである。

 ライフハッカーとして時間効果と金銭の節約という相反する欲求に応えるためにどうするか。

 その答えが、①短時間で作れるものをメニューとすること、②メニューを一種類に限定し、短縮化できること、である。

 さらにいえば味も美味しい方がうれしい、体にいいものはなおうれしい。

 私が作っているのはトマトスープである。

 土井先生は、前述の通りレシピというものを否定されているが、私はここにトマトスープのレシピを開帳いたしたく思う。写真はない。

 

 まず、雪平鍋を用意する。一人暮らしの一食分であればこれでも十分だ。

 鍋をコンロにかけ、オリーブオイルを熱し、チューブタイプの生にんにくを入れる。思うよりも多めに入れてよいと思う。

 スライスしたにんにくの方が雰囲気はでるのだけど、未だかつて買ったにんにくを一房たりとも使い切れた試しがないので、ここはチューブで代用。

 火が強すぎるとにんにくがはねるので弱火でじっくり、がコツであろう。

 にんにくとオリーブオイルが十分に熱せられたら(にんにくが少しはねるが、鍋のフチを超えない程度に)、キューブ型のコンソメスープの素(味の素)1個と水200ccを入れる。

 火加減を中火にし、ここから具材を切って入れていく。まずは入れるのはにんじんを1/2本、やや太めの短冊切りにする。にんじんは火が通りにくく、芯の残ったにんじんが口に入るととても悲しい気持ちになるので、こいつにはまず先に火を通しておきたい。やったことはないけれど、先にレンチンしておくといい感じになるかもしれない。

 続いてじゃがいも。1個を乱切りにして入れる。型崩れしないよう角を落とす一派もあるようだが、角を落とす時間はライフハッカーとして無駄だと思うのでやらない。それに型崩れしたじゃがいもだって嫌いじゃない。むしろ好き。

 ここでメインの鶏もも肉とソーセージ。鶏もも肉は角切りを2個か、3個、ソーセージは2本半入れる。ソーセージは火が通りやすいように縦に切れ目を入れた上で、半分、やや斜めにカットする。

 次は、ミニトマト。切り込みを入れた5個ぐらいを入れる。ちょっとの量でも味はしっかりとトマトになる。トマトの支配力はすごい。怖い。

 しお、こしょうを適当に入れて味をととのえる。この、味をととのえる、という概念がいまだにピンときていないのだけれど、しお、こしょうを入れると確かに美味しくなる気がする。そういうことなのだろう。

 最後にざく切りにしたキャベツを入れる。葉っぱの枚数でいうと3枚くらいだろうか。時短のためにも味のためにも芯はとっておくこと。

 キャベツの前にブロッコリーやしめじを入れたりと、その時々の冷蔵庫の残りで違うのだけれど、そのへんは好みでいいだろう。

 ここまで約10分。あらためて塩、こしょうを入れて仕上がりを待つ。最後に塩とこしょうをいれると薄味すぎず、濃い味すぎずのいい感じになる。

 この段階で鍋は、かなりぐつぐつといっている。中火のままだと吹いてしまう可能性もあるので吹いてしまいそうだったら火加減を調整してほしい。中身を少しかきまぜるのもよい。

 ここからは仕上がりを待つばかり。仕上がりまでは5分程度、もうすぐである。その間にどうするか。腕立て伏せでもしていればよろしい。洗濯物を取り込むのもよいだろう。私はそうしている。

 これでトマトスープの完成である。味についての特段の言及はいらないだろう。たぶん想像通りの味である。そして、ここまで書いて思った。何の変哲もないメニューであると。

 しかし、自炊をして初めて感じた、トマトの支配力の強さ、にんじんの意外なたくましさ、メインにもなり、そしてサブとして味を下支えし、さらに洋風っぽさの演出もしてしまう、ソーセージのユーティリティ性だとか、メインと言いつつ鶏ももの存在感の乏しさとかというものを。

 各々の食材が主張しつつ、引き立てつつ1つのハーモニーを奏でるのが料理であり、自炊の経験は、料理を味わう上での解像度を間違いなく上げてくれた。

 そして、実は時間対効果もなかなか悪くないのではないかとも思っている。コンビニで何にしようか、店内をうろつく時間、UberEatsや、お店でメニューを選びそして出来上がりを待つ時間、自炊をするよりも思いがけず時間を使っていると思うし、日々の再現性にも乏しい。ライフハック的にも節約的にも自炊は優れたソリューションなのではないかと感じている。いかに飽きずに続けられるかが課題だが。

 自炊は実は時間を節約しつつ、お金も儲かる(=節約になる)。

 今晩のお食事にトマトスープはいかがでしょうか。